「納豆」。その歴史は長く、起源についてもよくわかってはおりません。 では、なぜ「水戸の納豆」は知名度が高くなっているのでしょうか。
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江戸時代末期の安政2年、一人の人物が生を受けました。 その人物とは笹沼清左衛門です。その頃全国に先がけて水戸において先駆的に興っていたのは「尊皇思想」です。そして明治維新。そうした時代の激流の中、清左衛門は数々の事業を興します。その一つとして近代的納豆製造事業の立ち上げを行いました。数々の試行錯誤を経てやっと事業化の目途がついたのは明治22年です。その商品名として、清左衛門は、幕末維新の魁となった「水戸天狗党」に想いを致し、その偉業に比す程の事業に育てたいと考え、「天狗納豆」として売り出しました。当時は水戸周辺を商圏としておりましたが、鉄道の開通で「水戸偕楽園の梅」を見にいらっしゃる観光客の方々に「小粒の」納豆が好評を得、「口コミ」で「水戸の小粒納豆」の評判が広まり今日の名声を得るに至った次第です。笹沼清左衛門も思いもしなかったでしょう。
その次男として生まれたのが、当社初代 笹沼辰蔵です。全国に知られる水戸の名産物になった小粒納豆の味と伝統を正統な形で受け継ごうと「水戸元祖」を冠しました。
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その志を引き継ぎ、昭和20年以降、終戦の焼け野原から立ち上がったのが、 当社二代目の笹沼敏衛です。当社中興の祖であります。
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どの企業にも、どのご家庭にも歴史があります。
たとえ、今にその様々な伝承が残っていなくとも、
今ここに私たちが生きているということは、代々の先祖と、その生き様があるからに他なりません。
たまたま、弊社にはこのような歴史がありました。
幕末の動乱、焼け野原から復興を遂げた昭和20年代、私共や皆様のご先祖が共通して通り抜けてきた近世以降の歴史。これをお読みの皆様、どうか、今夜は「ほし納豆」をつまみにして歴史に、そしてご先祖の方々に、親兄弟姉妹に想いをいたしてはいかがでしょうか。
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あまり飲みすぎませんように。明日は「わら納豆」で朝ごはん。夜は「そぼろ納豆」でまた一杯。
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